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あまりにも突然すぎる別れ。ムッシュ・モリシマ

泉佐野市在住の数少ない芸術家であって、私の師匠である政治家、新田谷修司を四半世紀以上後援会長として支えてきて頂いた森嶋八洲樹先生が天国に旅立ってしまった。
それも何の前触れもなく、まるで画家名である[南風子]の南の風のように吹き去っていったようだ。まだ正面から受け止めきれず、そのうち街かどで出くわすような、そんな気がしてならない。
先生は政治家の後援会長としては異色の存在で、ドロドロとした世界には無縁の方で、いつも会の挨拶では政治とは全く違う分野の話をされる。しかし、そのボソボソと話される中身は良く聞いていると、とてつもなく含蓄のある、高度な知識が溢れていて、最後は政治と結びつくことに気付く。
全く政治に興味がなかったわけでは無い。
橋下徹代表が当時市長であった新田谷修司を大阪維新の会の一員に引っ張り込む為に、市長を途中で辞任して府議会議員として立候補して欲しいと後援会にお願いに来た時も、反対意見の多い中、真っ先に大賛成し、大阪維新の会が発足するずっと前から「大阪は独立すれば良い。東京一極集中の日本を変えて欲しい」と云っていたことを覚えている。
それでいて普段はワインをこよなく愛し、タンゴを四六時中聞いているかと思えば、鬼平犯科帳を欠かさず見たり、アメリカのプロバスケットの試合の説明をしてくれたり、とにかく自分が興味を持ったことは全て吸収してしまう人だった。
それが証拠に、3冊出版された本に引用されていた俳句や歌詞、人物名、題名など何一つ調べ直すことなく全て記憶しているという、天才的な記憶力の持ち主であった。
一度そのことを聞いてみたことがある。すると「かずと君、好きなことは必ず覚えるだろう?」と云われた。
「人間の死」に対してもとても研究され、山田風太郎氏のあらゆる「死にかた」に関する本を私に貸して下さって、読んだ記憶がある。
「先生はご自分の「死にかた」は想像していた通りでしたか?」そう尋ねてみたい。
きっと今頃ブエノスアイレスのカミニート(小道)あたりで美女でも探していそうな。
どうか安らかに・・・
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