夢も希望も無くなり、もう二度と変わることのない大阪がこれからも続いて行くだけ

何という虚無感。21日間の死闘の結末がこんな結果になろうとは・・・。

確かに私の入った住之江区では拮抗している感はあった。直接市民の人の反応がわかる街頭活動を行っていると、終盤、罵声を浴びせられる場面と熱烈な応援メッセージを言ってくれる人と出会う場面と半々だった。

今回の住民投票に限り投票日の活動も許されており、投票所の小学校の入り口で朝7時から夜8時まで最後のお願い運動を行った印象もほぼ互角。午後5時ごろの出口調査の結果が51%対49%、嫌な予感がした。というは、それまでの期日前投票が約17%あり、その出口調査では5~8ポイント負けているという結果が出ていた。それでもひょっして僅差でも逆転しているかも、残り2時間で若い層が大勢投票に来て「賛成」と書いているかもしれないと希望を持ち続けたが叶わなかった。

自分としては告示日以降農業委員会で行けなかった1日を除いて自主的に20日間全て入り、出来る全ての事を行い、やりきった感はある。しかし悔しい。
思えば5年前、新田谷市長が橋下徹さんに引っ張られて維新入りした時から私も同じく維新の政治に参加してきたと思っているし、南大阪では第1号の維新公認で衛星都市議員に立候補し、大阪都構想実現を夢見てきた。
これから大阪維新の会は何を目標にするのか、何を夢見て頑張ればいいのか?しばらくはただ心にぽっかりと大きな穴が空いたような心境で過ごして行くしかない。しかし、私はこれからは泉佐野市民の皆さんにお約束した「美しい街」づくりに今後は専念して頑張らなくてはならない。
そしてわが師匠の新田谷修司という泉佐野市で活躍した稀代の政治家も引退となったが、政治家人生25年間の最後の演説、5月14日午後1時から住之江区中加賀屋公園に於いての橋下代表の急なキャンセルの代理弁士として立った最後の演説写真を貼って、私の大阪都構想に終止符を打ちます。